
創刊者のひとりとして池田克己がその運営に心血を注いだ詩誌「日本未来派」は、1947年の創刊から80年近く経った現在も年二回出版されています。
編集長は8代目となり、現在、杉野穎二氏がつとめられています。
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「日本未来派」について
詩誌「日本未来派」は、1947年6月創刊、池田克己が編集長となり創刊した詩誌です。
創刊時編集同人は八森虎太郎・小野十三郎・緒方昇・菊岡久利・高見順・佐川英三・宮崎讓・池田克己の8名でした。
戦争が終わり、中国から日本へ帰ってきた池田克己は、同人誌「豚」時代からの詩友である上林猷夫・佐川英三と共にガリ版刷りの同人誌「花」を出版します。この「花」を読んで感激した上海時代の詩友八森虎太郎と連絡をとりあっているうちに、八森が経営者として新しい詩誌を発行することになり、「花」から、詩誌「日本未来派」が生まれました。
「花」の発行部数は最終刊の第四号で150部でしたが、「日本未来派」を発行するにあたり、池田克己は全国展開を狙い2000部の印刷を決定します。【参考:木田隆文「日本未来派,そして戦後詩の胎動」】
編集者、装幀家としても活躍した池田克己は、敗戦後の重い世相の中で、自由な表現のステージとなる詩誌「日本未来派」をプロデュースしました。
池田克己:「日本未来派」創刊号後記より
日本未来派は、一個の思想や概念の共通によって、結びつき発生されたものではない。各人それぞれがこの敗戦後の混沌の中に、未来に向ってたどろうとする。愛や誠実の協同による、連帯の場である。このような中から、現代詩の正しい性格の追及などというようなことにも、当然な懸命さが展開されて行くであろう。日本未来派は生々しいムーブマンとしての、切実さの中にある。
「日本未来派」で、池田克己は、雑誌とともに、詩集も次々と企画・出版しました。
自著も含め、当時「日本未来派」から出版された詩集は池田克己が自ら装幀、編集を行っており、「日本未来派」は実質的に池田克己の絶大な影響力で構成されていました。
非常に高いクオリティを誇る詩誌でありながらも、売れ行きは予想を下回り、経営は非常に苦しいものとなりましたが、池田克己の早すぎる死去で「日本未来派」が消えることはありませんでした。
池田克己の死後四年を経過して日本未来派から出版されたアンソロジー詩集「日本未来派1957」序文では、池田克己の死を境として構成に変化のあったことが書かれています。
日本未来派詩集1957序文より
創刊当時の「日本未来派」と、今日の「日本未来派」とでは、その構成に若干の変化がある。厳密にいうならば、池田の死を境として、第一期、第二期とでもするべきであろう。池田の死により、第五十五号から編集者が編集者が上林猷夫に変わり、さらに土橋治重に至った、現在の「日本未来派」は純粋なる同人制であり、第二期の活動期である。それ以前は、同人制ではあったが、編集には池田の個人色が濃厚であった。従って、この期においては、外部からの執筆者も多く、現同人以外のその氏名を記録すると、
菊岡久利、加納浩、宮崎譲、和田徹三、黄瀛、松畑優人、黒木清次、逸見猶吉(遺構)、長谷川渣、林房雄、金子光晴、島崎蓊助、加藤雅民、阿部金剛、横光利一、菅原克巳、高松棟一郎、伊藤新吉、百田宗治、鈴見健次郎、小野重吉、高橋宗近、千家元麿、宮沢賢治(遺稿)、岡崎清一郎、森美那子、増田栄一、田村泰治郎、入江元彦、北村謙次郎、内山完造、山本信雄、渕上毛銭、平林敏彦、高山泰子、竹尾大吉、弓削昌三、杉山真澄、真杉盛雄、杉山平一、翕田朱門、北川冬彦、梅木三郎、深尾須磨子、草野心平、鵜沢徹郎、大木一治、鳥見迅彦、小林富司夫、川会主計、宮崎孝政、長谷川竜生、角達也、会津寒吉、会田綱雄、右原尨、稲垣足穂、原田種夫、冬木康、柴田元男、牧草造、増田栄一、山之口獏、橋田一夫、坂本遼、金子乾、山本和夫、吉川仁、山本藤枝、西山勇太郎、長谷川巳之吉、正木聖夫、直木淳郎、岩佐東一郎、奥山潤、清水清、飛鳥敬、川上澄生、坂本越郎、長光太、扇谷義男、大上敬義、後藤郁子、吉田稔、岩本修蔵、水野陽美、岡本潤、村野四郎、木原孝一、遠地輝武、岩田潔、桃井忠一、多田裕計、北園克衛、笹沢美明、青山鶏一、江間章子、酒井伝六、ノエル・ヌエット、佐藤三夫、吉村まさとし、藤原定、錦米次郎、鳥居良禅、真田嘉七、井出文雄、大江満雄、更科源蔵、河邨文一郎、三井ふたばこ、天野美律子等の多数であった。
(中略)
『日本未来派』は未だ一度も、いわゆる《宣言》を発表しなかったということは、同人達が、何らの主張も持たなかった、ということを意味しない。雑誌としての、或いはエコールとしての、一つの固定した主義主張をもつことを、否定する立場にあったからに他ならない。「日本未来派」はいわばそういう集団の画一性を否定することが、唯一の主張である。
(中略)
「日本未来派」の未来は、各自が選びとる可能性のなかにある。今後どのように展開するかは、誰にも予測されない。われわれは、われわれ各自のファイトにより、「日本未来派」をも大きく前進させるのである。
池田克己にとって、「日本未来派」は彼自身を表現したものではなく、彼が夢見た自由の天地でした。
池田克己の死後、「日本未来派」はまず、編集を上林猷夫が、経営を佐川英三が引き継ぎました。二人とも同人誌「豚」時代からの古い友人であり、戦後はガリ版で「花」を刷り、同じ思いを共に描いた仲間でした。
そして再スタートを切った詩誌「日本未来派」は、今も進み続けています。