かつて我國にあつた歐米のカメラマンといふものは、多く前以て或種の色眼鏡を用意し、或種の不純な意圖のもとに題材を求める傾向にあつた。
(略)
日本の諸君は正確なる觀點に立脚して、題材の核心を摑へ、この正しい藝術的製作過程を通じて、新中國の動態を逐一表現してきたのである。そしてこの事が、中國に對する理解と認識に、どれほど多く寄與するものがあつたかは贅言を要せざる所である。
池田克己氏はすなはち東邦の名カメラマンにして、第七藝術に對する深く豐かなる教養を有し、その詩人的慧眼は足跡の至るところにひらめき、多角多面の新生中國の姿態は、氏を得てよく黑白の畫面に表現されつくされたのである。今玆に、軍事、経済、文化、經濟等の各部門に亘り傑作八十幀を選出して一册となし題して「新生中國の顏」といふ。
池田氏のこの勞作が、諸種の文字による報道より、はるかに普遍的にして、有力なる效果をあげるであらうことは論を俟たざる所である。
(略)
民國三十二年十月 陳公博