闇の眼球

この闇の空漠と
この闇の沈沈と

靴は千切れた鋲鉄の音を
洋服は腋下と股下の繊維の摺れ音を
風呂敷包みはアルミの弁当箱に転がる梅干種の音を
けれど人の気もなしの僕の歩行

僕はいるのかいないのか
満ちなどあるのかないんだか
そして何だかギョロッと剥いた眼球のようなものが
この烏羽玉の闇より濃い黒で
僕を誘うているような

とめどもない一めんの平板と
足のやり場もない屹立する何かと
そのざわめきと
その沈黙と

僕の顔は黄色で
僕の洋服は茶褐色で
僕の風呂敷は浅黄色で
ネクタイだって紅い縞で
あゝ僕はそれを何度も胸に繰返し
折角白昼の記憶に縋ろうとするんだが
頭痛のように犇く黒い密度の
すっぽり足元を浮き上がらせる深い静寂の
重たい
無限の


たしかに両側は生垣で
その生垣の間の細い道で
たった今まで
手探らなくても順染んでしまった家路は筈で
急にグランドキャニオンが眼下に直下したような
ハリー彗星が股座を流れるような

しかしやっぱり
僕の身体は動いている
そんな心の傾倒に暇借なく
地を這うような
空間を泳ぐような
そしてその僕の前を揺曳する
何だかギョロッと剥いた眼球のようなもの

この闇の空漠と
この闇の沈沈と

あゝあの眼球は
切り裂いた僕の胃袋のようであり
敗戦直前の日に通過した満鮮国境図們駅の 冷たいベンチから眺
 めた黒い山磈のようであり
どっかで鳴っている大砲の音のようであり

2024年07月21日|池田克己:二つの眼