池田克己:澁江周堂詩集「嶋の潮流」跋

 潮が洗ってすぎた岩礁の穴こぼには、ヤドカリがさまざまの恰好をしてうごめいていた。僕らはそれを見ていた。陽は昇ろうとしていた。浪が荒っぼい縞模樣をなして沖の方に続いていた。その縞模樣は豊富な色彩を含んで絕え間ない動作をくりかしていた。僕らはそれを見ていた。
 昨夜から飮みつづけていた僕らに連れ立って、未明に峠を越えてこの浜にきた長崎の町の三人の乙女たちは、白砂に円を描き、無心に鱗取りに耽っていた。紅を落した女の頰は、新しい太陽の光を受けて、赤ん坊のような色をしていた。僕らは又、それを見ていた。
沖の向うには大陸がある。それはわれわれの視覚に捕えられるものではなかった。しかし今われわれの立っている地点が地球の終点であると同時に、始点であるということを考へることは、たのしかった。
 眼に映る大きいものも小さいものも、ことごとく美しさに満ち満ちていた。ここから眼に見えないものも、われわれは心に描き出すことは出來るようであった。疲れを知らぬそのやうな慾望の伸張は、たのしかった。
 そうして誰が知っていただらう。あれから丁度一年目に、僕はこの海を渡ったのだ。今僕の眼の前には揚子江の濁流が拡がっている。この泥の尽きるところには紺碧の海がある。それを僕はもう知っているのだ。その海の向うには澁江周堂がいる。それを僕はもう知っている。これは確かなことだ。
 澁江を思うことは、僕にとっては望郷である。そして僕が支那にいるということは澁江と僕とに、もう一つの世界を引据えさしたことになると思う。
 そういう間隔のない距離の中に、僕たちは居る。僕達の中にあるものは歷史という時間だけである。僕の望郷に淚がないということは、この感激の結晶体の所以に外ならない。

 鉄橋のある山峽の町。粘板岩の波狀褶曲。石英のキラキラした砂礫に埋もれた吉野川原。鮎の背鰭の数えられる清流。烟りのマッスとなつてゆっさゆっさと身搖ぎをしている竹林。僕の住んでいた小さい町。長崎を発った澁江が、長子経世の脚を懷にして停っている。(あれから二年目の今日、飛行機で送られてきた「國民學校一年生」という詩を、僕は今読んだ。)
 澁江の孤独奴。経世の母のことよりも、僕は、澁江の内にかむさる経世のダブルエキスポージャを思った。
 澁江は経世のチンポコをとって小便垂れさせている。この小便は地球の外に漏れるかも知れないからだ。
 龍門嶽の北の背に、曳光が尾を流し、一脈のラインライト。
 澁江は居儀を正して、僕の壯行に掌を打った。
 古典のような彼の人情。

 僕らがささやかな習作をつづけてい雜誌「日本詩壇」に、「世界の暗憺たる歷史の一頁に、新鮮なペンが走り出した。一切の苦悶を否定し、花開く明朗な蒼空の下で何物にも拘泥せられず一切の独断を許さない本然の姿が最も単一な宣言となってここに現れた。西歷千九百三十六年四月十三日。大地には春雨が降っている。」といふ序によって初まり十数頁につづく長詩「四次元準立方體詩派宣言」が発表された。
この詩は次のやうな章によつて結ばれていた。
「(x-a)(x-b)(x-c)(x-d)=0 縱、横、高、『?』の規定なき規定の世界、時空なき時空の世界、現象なき現象の世界、無限立方體無限平面を包藏する無限準立方体に浮游する泡沫、人類とは、民族とは、社会とは?

(x-a)(x-b)(x-c)=0 縱、横、高の規定する世界、時空現象の過現未の、無限立方体に富裕する泡沫、人類とは、民族とは、社会とは?

(x-a)(x-b)=0縦と横との規定する世界、時間と空間との、無限平面に浮遊する泡沫、人類とは、民族とは、社会とは?

 この詩にはわれわれの眼に全く新しい澁江周堂といふ名が記されていた。僕はこの詩を、山峽の町から大阪へ通う小さい電車の箱の中で読んだ。そうして僕はこの厖大な詩を読み進めるためには、時々疲れた頭をもちあげて窓外を見なければならなかった。あの時の青葉の照りかえしは、今もって僕の印象に鮮かに殘っている。

 僕たちはひとしくこのような詩の出現に驚かされた。しかし驚いたのは僕たちの勝手なことに属していた。
 「日本詩壇」の月例の研究会の席で、初めて逢うた澁江という男はキチンとした服を着け、僕たちより遙かに年長の顏は、明るく、冷静に輝いていた。あの詩に驚いたと言ったら、彼はおそらく迷惑そうな顏をするにちがいはなかった。僕は素早く体を翻して、この日の会を脱した。(澁江よ、今は白狀する、あの時、僕は今よりずっと若かった。そしてあの研究会のあった喫茶店の階下には、一人の少女が僕を待っていた。僕はこの少女をつかまへて何の前置きもなく、今逢った澁江といふ男のことをペラペラしゃべった。)
 
 殆んど十年も昔に見えたり、つい今しがたのことのやうに思えたり、人間の親しい交りの中にあって、時間の流れというものは、何というどきつい懶惰の相を示すのであろうか?ここに澁江の事を思い浮べていると、停止した時間の真空函の中で、実にとりどりの衣裳を纏うた侏儒どもが前から後から、重なり、ぶつつかり、一時にドッと僕の限前を蔽いつくしてしまうのである。彼らを一列に並べさせることは、特技の所有者ということより以上に、尙それら侏儒どもの衣裳について鈍威な神経を持っていなければならないようだ。
 僕のこの一文のぶざまさは、謹嚴な詩人達に嫌われるに決まっている。しかし何でこの僕に、これら侏儒の衣裳をぬきにして「澁江詩は、」などと改まれよう。
 さて澁江詩は、「四次元準立方體詩派宣言」の中に、彼の志向も抱負も、眞つ正直に語られつくしている。しかも「縦、横、高、「?」の規定なき規定の世界、時空なき時空の世界、現象なき現象の世界、無限立方体、無限平面を包藏する無限準立方体に浮游する泡沫、人類とは、民族とは、社会とは、果して何であるか!」と正面に設問した方寸は、それ自らが高い掟となって、彼の詩脈にひびこうた。
 人は大胆な自信と言うかも知れない。しかしこれは、自分が例えどのような詩を書いていても、人類や、民族や、社会が持つ生理の歷史的な頂点から外れっこはないんだと、彼自らが言っていることなのにちがいはない。ここにわれわれは彼の、物を書く人間としての誠実を見るのである。
長崎澁江医学、八代の嫡流として、彼が恃するポイントに存在する科学の聡明と、人情の古典。
 澁江周堂という五尺の肉體が、宇宙のいとなみに結びつける直線。彼を通してわれわれは、宇宙というものが、笑いを噴きあげる少女の、のどぼとけのやうに、ぶよぶよとしてあたたかい可憐な体温を持つた生物であることを知らされるのである。
 彼の詩の意欲は、萬物生誕への激しい肯定の中から出発する。現代詩の多くがリリシズム喪失をその性格の一つとさへしている今日、彼のリリシズムの豁達さは、その意欲の出発中に求められるだろう。彼こそはニヒリズムの衝動で書かなかった最初の詩人であるかも知れない。「嶋と潮流」の中の「誕生は旣に完成であつた」は鮮かな言葉である。こういう言葉を吐き得た彼という詩人は、すでに一個の現実のごとき重量感を持つていると思ふ。
 おそらく彼は如何なる思想の虜となったこともないであらう。われわれは彼という存在の掌の中にころがされている思想を見せられるだけである。そしてわれわれは澁江の主宰する大きい世界の中に連れて行かれるばかりである。
 この芸術と思想の距離を判然たらしめたということは、彼が若年に一度持っていた詩筆を捨て、後年再び詩筆をとるまでの短からぬ期間を專ら科学の中に沈潜してすぎたことのたまものであるかも知れない。
 彼は今、自らの予言の中を、何物にもわざわいされず大股に歩いている。誕生は既に完成であつた。
 さて気付いて見ると僕も亦大方の常識のごとく、澁江詩の、甚だ凡庸な解析の中に入り初めたようである。これはこの稿の意図を外れてゐる。僕はのんびりと、われわれの私的昔語りをしたかったのだ。
 澁江詩のことなど、何も僕が吃り吃りしやべらなくとも、これらの作品が一つ一つ立派な発言となつて存在している。
 そんなことよりも、澁江の五人の男児たちはハダシで道を跳びまわり、この父親をハラハラさせていることや、長子経世が今年から学校に上ったことなどは、記念となることだ。
今僕の周囲には兵隊たちの安らかな寢息がある。僕のペンのサラサラいう音も、確に、澁江と僕のこの時代の記念だ。
 中支の春は、むせるやうに暖いと思うと、急に眞冬に立帰る寒さに襲われたりする。

(昭和一六年四月十六日中支邦雑草原の兵舎にて) 


2024年07月28日|池田克己:その他(散文), 澁江周堂