ガラスの中の顔

乱れた髪が汗のしたゝる額にふりかゝって 何というもみくしゃの
顔だこの僕の顔は
行っても行ってもショウウインドで 行っても言っても僕の顔が僕の
眼の前にある 行っても行っても僕を引き連れて歩いているガラスの
 中の陰惨な僕の顔

やす子さんは死んでしまった 僕の知らないところを選んで 気配
もなしの素早さで

   上海では群がる黄包車におどろいた
   北平では西太后の装身具におどろいた
   そして引揚げてきて東京では--
   おどろいてばかりいたやす子さんが 最後はぼくをおどろかす
   《美しく生れたひとは一生おどろいてばかりいるものだ け
   れど僕の鬼面は 美しいひとの死の代償によってしかおどろ
   きに気付かない》

ショウインドに写った僕の顔は凄涼の気に満ちている
この顔が
やす子さんを思っている顔などと誰が思う

ああやす子さん
生きているこの世とは
ガラスの中の陰惨な自らの顔に追いまくられているようなところで

やす子さんが死んでしまって
生きていた日のやす子さんと 僕との距離の遠さを
鬼面の僕はさとらされる

 

(草野心平編「日本恋愛詩集」より)

2024年08月01日|池田克己:その他(詩)