淵上毛銭詩集

吉野の留守宅の方へ、熊本の田舎から淵上毛銭という人の詩集がおくられてきた。私には未知の人である。日本の詩の世界の中でも新しい名であると思う。

 すりきれた
 わら草履のうえに

 雀が
 寒く死んでいた
 ほそい足の泥が
 固く乾いていた

 そこは
 急いで通った    (暮情)

このような素直な詩を書く人である。

 花粉にまみれて
 蜜蜂が死んでいた
 片方の頭と羽を
 かるくつけ
 𦫿のようにとがっていた
 その花のしめった茎を
 蟻が一匹登っていた  (点火)

 その素直さが、この人の物を見つめる眼の密度となって現われている。
 そしてこの眼は、

 人間は
 あっという間に
 過去をつくってしまうように
 出来ている
 おお懐かしい背中よと
 背中が生きている限り
 過去も間違いなく
 安心してついてくる

 ついて来て呉れるので
 人間も安心なんだ
 やはり人間いつも達者で
 背中のことなど
 忘れていたい

 いつも
 すぐそこにある背中だが
 おいそれと見ることのできない
 さびしさよ   (背中)

 このような諦観的な人生観を育てていると思う。
 素直な眼で物を見つめるということが、その人間の環境的なものによって、それぞれの方向をたどることの一つの例を見るようである。
 この人の諦観はしかし、まだ種々の屈折を経てゆくであろう。そのような靱い面魂の感じられる人である。
 先日この人から初めて便りを貰ったが、
「最近何を考えても原子に行ってしまいますので、コントロールに苦しんでいます」と書かれていた。私はこのような人を知ったことによろこびを感じ、この人の詩の行方を楽しみに思う。

出典:「日本未来派」7号

2024年08月02日|池田克己:その他(散文)