どうしてお前は死んでいる そして俺は生きている

鎌田理市 中西信之 濱田乃木次 渋江周堂らの あの世へおくる水臭い手紙

あばたになった弾痕のアスファルトの上を歩きながら
瓦礫の山や灰燼の谷間を歩きながら
ねぢまがった鉄骨やガラガラのコンクリートを眺めながら
地を這いずる焼トタンの壕舎や痩せた人間の顔を眺めながら
俺が七年前に踏みしめていた
揚子江岸の壊れた町町
雑草に噴いている錆色や
天に跳ね返った階段
わいわいわいの襤褸の肩
そんな記憶を呼び覚まし
あのとき俺が思ったことと
いま俺が思うことが
まるでちっとも触れ合うものでないことが
不思議でもあるし
そんな人間の感性というものが腹立たれるのだ
むかし
理市は俺に自作の能面をくれた
信之はハウゼンシュタインの「造型芸術社会学」やグロッスの
 画集をくれた
乃木次は女をくれた
周堂は祐定をくれた
むかし
割箸職人の理市は労働や技工によって営まれる生活の実直面を
 無言で俺に示し
中学で一番うまい絵を描いた信之は俺に思想を皷吹しそれから
 三年間の牢獄だ
乃木次は女を捨てようとする俺の横ッつらを撲り裏日本の潮風
 に焼いた横顔で泣いた
長崎医学八代の名門周堂は「科学と詩」を説き酒場(バア)を出るときは
 女に触れた手や頬を消毒し血は大事だと鋭い眼差しで叫ん
 だものだ
そんな
お前や
そして俺も
相前後して戦線に出ていった
ろくに別れの時間もなく
ハガキだって一 二度きりだ
そして
俺はお前がどんな顔をして
銃を握っているであろうかというようなことなどさえ
考えたこともなかったのだ
いや
反戦主義のお前も
忠君愛国のお前も
人情家のお前も
理論家のお前も
同じ動作
同じ姿勢
同じ表情で
汗を出したりエイエイ言ったりしていることを
わざわざ思いかえすまでもなく
自然なことに過ぎないとだけは思っていた
無力も有力もまるで一つの日であって
俺がまだ余情ある日の遍歴の姿
共産主義
アナーキズム
民族主義など
なつかしい
しかしそんなことではも早顔色一つ変るものでないということ
 だけは確かに掴んだ
顔色一つ変らない俺は
たとえ何主義者であろうとも
何処の野末でいようとも
目先きに見た泥土の花は赤かったし
ただここにあるたったいまの肉体だけが総てであった
反戦主義のお前も
忠君愛国のお前も
反戦主義で死にはしない
中空愛国で死にはしない
苦痛は苦痛でどんなに切なく辛かろうが
死そのものの運命には
身動きもせぬ鷹揚さで
お前もお前も死んだんだ
そうしてすっかり同じ鷹揚さで
生きて俺は帰ってきた
生きていることも
死んだことも
こんなに同じい姿勢であるという時代に
俺達の年齢は過ぎたのだ
そうして
ビルマや河北や菲島の果てで
お前やお前が死んじまったことと
灰神楽の故国の町で
俺がこうして生きていることが
まるでちっとも触れ合うものでないことが
不思議でもあるし
そんな人間の感性というものに腹立つことは腹立つのだが
考えてみれば考えるまでもなく
力んだり励んだりしたことの結果でも何でもないんだという
 ことだけが分るんだ
たとえば
「かなしい」などというような言葉
思えば一生にあるかないかのこんなおそろしい心の動顚を
 あのころのお前もよく使ったし
俺も使ったが
今更何てだらしないざまだったかと昔の俺達がはずかしい
 じゃないか
「死ぬときはいつでも一緒だ」
そんなことを正気で言った俺が
ここにこうしてのうのうと生きていることも
死ぬ瞬間にまざまざと知った「あの時代」ということで
お前は俺を薄情などと恨みはすまい
「あの時代」を 生き残ったというぎりぎりのところでチャンと
 眼に入れた俺はそう信じる
ああもうこんなことより
俺が生きているこの世というものを
そちらのお前に通信しようか
先ず第一に
かなきり声で日の丸旗を振ったり
千人針をかざしてまわっていた小娘たちが
眼ほそめて
「物が」「物が」で愛の技巧だ
特攻隊の紅顔青年は
胸をたたいて度胸を売る
商売には玄人はだしだ
それから
黴の生えた何何主義たちの
かさぶたの比べ合い
新しがり合い
誰も彼も
生きている物的条件の総ざらいだ
格闘すべき 或いは憧憬すべき精神なんて一物もないこの世で
 は
人間元素体のおどろべき集積が
狭隘な国土に充満している
機械も科学も赤錆びのまま何処かの葦原に投げ捨てられてかえ
 り見られない
われわれの青春の日に夢見た精神共は
おそらくあれらの機械の中におそれをなして身を沈めているの
 であろう
(あの精神という奴とともに生きてきた機械たちこそあわれじ
 ゃないか)
物質の総反撃の前で
可憐な精神の行方をお前に見せたい
思えば
ケロリとお前が死んだことが
それからケロリと俺が生き残ったことに
触れ合うものでないことなんか当然だった
    ※
先日霙ふりの夕暮れ時 北鎌倉の吹きっ晒しのプラットホーム
 で 俺は電車を待っていた 凍るような時間だった やがて
 電車が入ってきた プシュッというれいのドア・エンジンの
 開く音がして まっ暗な中からどッと人間があふれ出てきた
 そのとき俺の鼻をかすめて頬を打ったむッとするような動物
 的な匂いと湿気
その時の匂いと湿気が
俺にこんな手紙を書かせたと
あの世のお前は思ってくれ

2024年12月10日|池田克己:法隆寺土塀