記録
土は安んじている。
わが辺鄙の地、
大和栄山寺境内に配置された八角円堂。
ここに下りきて、水路は急に幅と深さを増し、この耽碧が広重のそれを遙に凌いだことに何の思案があろう。松はただ影を落とせばよかったにちがいない。
かくて千二百年。浮き世の変遷にこの地はいたく銹れた。人は神韻を称するであろう。しかし自分は昵固と風雪に耐へた流麗豊満の天平の夢に思い至ればよかった。
やがて二十年前、国宝八角円堂の礎石の贏弱を憂いた当局は、今後千年の経過にビクともせぬという計算のもとに、礎石にコンクリートを流し、花崗岩の切石でこれを固めた。
ところが最近、こいつが崩壊をはじめたのだ。
雑草と竹根が、この築かれた大盤石に抵抗した。そしてやってのけたのだ。コンクリートは滅多に避け、花崗岩は無慙に崩れた。
土は安んじているのだ。
自分が境内を訪れたとき、亀裂の周囲には床しくも夏草の花が澪れていた。
俄に白雲を浮べた青空に雨簾が懸り、足元から虹が立った。流れも見えぬ水の上には波紋が震え、松影を加えて拡がって行く。
千年を遡る円堂の礎石はおそらく河床の石塊をもってなされたものにちがいあるまい。
《今日、雑草竹根への感動は何と生易しいことであるだろう。》
崩壊をはじめた基礎の上で円堂の廉恥の姿は立派だ。
しかも天平の夢のもと、乾坤を疑わなかったものは、ただに八角円堂の形態美にのみは止らぬであろう。









