ボギー車屬(絶筆)

海浜を走る
この一九一〇年代製ボギー車には
半身を夕陽の朱に染めた人々がならび
片瀬から乗車した二人の尼僧の
ペンギンのような黒白服の背を見せて
運転台の脇の窓から外を眺めている構図が
シャバンヌか青木繁の画因を想わせる
窓に磯の香
干魚の匂い
カンナやダリヤの強い色彩が通過すると
暫時は白い洗濯物ばかり飜って目に迫った
僕は明日 開腹手術のため入院する予定だけれど
そのことは古い物語めいてくるばかりで
この旧式のボギー車のもたらす
事象の鮮やかさに比すべくもない
  (さっき石上の日輪草の咲いている家に見舞った
   染井六造のカリエスの身体が
   轣轢と共にやってくるがーーその頑丈な上半身と細く萎えた
   菱形の脚部のかなしみ
   すると又
  「君は病詩人らしく熱帯魚を養殖するといい」と
   僕の衣食住のために
   その実行のプランを樹ててくれる心温い土井直の広い額の顔が
   キラキラ光る波頭と一緒にやってくるがーー
日坂からアメリカの水兵と粗末な服を着たパンパンだ
いずれはカリフォルニヤ在のポテトー作りジョン君ジョージ君
千葉在のお玉さん お梅さん
あまり気分的な腕の組み方とは申せないが
その生い立ちの素朴さのせいか
時節柄か
傍若無人ということもない
僕だって思い出す
上海虹口武昌路のアンペラベッドの上で
愛呀!と
清朝夫人のような吐息を漏らした
揚州太太を
ああしかし
こんなことを想い出しては
あのペンギン服の尼僧に照れよう
染井六造や土井直の親愛の顔にだってーー
僕は
この一九一〇年代製ボギー車の窓枠を流れる紺碧の海に向って
せめてメノンとソクラテスの対話でも誦すべきだろう
或いは
この海岸線に
週一度位の割合で起る
物凄い炸裂音を考えるべきだろう
  (その炸裂音が何の音であるか
   このあたりの住人は誰も知らない)

(昭和27年9月3日作「詩學」昭和28年1月号)

2024年07月13日|池田克己:その他(詩)