森田素夫「池田君を悼む」より
終戦後、東西出版社という雑誌者に池田君と僕は一緒に勤めた。僕の方が少し早かったが、そこで、池田君は仕事好きの持ち前を発揮して、僕などの口を入れる隙もなかった。写真を主とした雑誌なので、彼の技術蔽いに役だったので、お陰で僕は大層、楽をさせて貰った。毎日二人でパイプタバコを呑吐して、毒舌を交わしていたが、結構面白く、暇をみつけては都内から鎌倉の古本やまで足をのばした。池田君の口角泡をとばす元気さをちょっと揶ゆするつもりで、君は詩人というよりも詩壇ジャーナリストだね、といった事があるが、その時、池田君は怒髪、天を衝くといった風に、僕を睨みつけて、何かいった。池田君の正直さ、自負、そういうものは、決して悪くはないが、日常座談の時、時々二人は突っかかった。が奇妙に、あと残りがなく明日はさっぱりとしていた。
【後略】
出典:「日本未来派」日本未来派 57号(1953年) 池田克己追悼特集号